意識戻らず…無念 松田直樹選手 家族に看取られ死去

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/08/04/kiji/K20110804001345890.html


昼休みに携帯電話でネットを見ていて、松田直樹へ回復を願う書き込みから、訃報に悼む書き込みに変わっていくのを見て、覚悟した。
それでも訃報は信じず、公式な情報を見てからじゃないと、と思った。
公式なニュースとして見つけてしまった。ついこないだまで、元気な姿を見せていた松田直樹が、この世を去ってしまった事実を。


マリノスで16年間プレーしたマツには、いい思い出よりも、わがままや自制心のなさを見て怒っていた自分が思い起こされる。
獅子ヶ谷グラウンドで安永聡太郎とキャッチボールをやっていたり、攻めてこないアビスパ福岡に挑発的なコメントを言ってしまったり、一人退場してるのに審判に抗議して退場したり、守備ほったらかしでオーバーラップして他のポジションに尻拭いさせたり、ビハインドでパワープレーに専念すれば相手GKの時間稼ぎに詰めに行くのをサボったり、日本代表の合宿を急に出されたり、2006年のホーム最終戦ではビハインドなのに退場してピッチにキャプテンマークを投げ捨てたり…。


でも、誰よりも強い熱意を持ってやっていた選手でもあった。
2005年のホーム最終戦(うろ覚え)では意地の同点ゴールを決めたり、2006年のナビスコ杯では倒れながらも足を伸ばしてゴールをもぎ取ったりなんてのもあった。
よそのクラブのサポーターには生意気に見えるんだろうけど、そんなヤツだからこそ、マリノスのサポーターはみんな松田直樹が好きだった。
マリノスサポーターやってて色々あったけど、要所要所で松田直樹なしには語れない。松田直樹がいたから楽しかったのかもしれない。


2001年の開幕前イベントで抽選で当たって、松田直樹直筆サイン入りアウェイユニフォームを松田直樹本人から手渡しで貰ったのは今でも記憶している。壇上で握手もしてくれた。
まさか、それから10年後、こんなことになるなんて…。


退団が決まった、昨年の最終戦後には「まだサッカーやりたい」と言って、熱意を持って迎えてくれた松本山雅FCに移籍していった。
まだまだ、やりたいことが沢山あったはず。本人が一番やりきれない思いのはず。
急性心筋梗塞なんて、あまりにも突然すぎる。松本山雅入団時のメディカルチェックでは異常がなく、直近に出た試合も問題なかったらしい。5日前には日産スタジアム大宮アルディージャ戦を観戦し、元気な姿を見せていたという。


倒れて病院に搬送されてからは、多くの選手が見舞いに訪れた。
そこで、たくさんの仲間がいたんだと確認できた。病院に訪れることができない選手も、回復を願うコメントが多くあった。


自分にできることは、松田直樹が積み上げていったマリノスを応援し続けることかな。
明後日の柏レイソル戦は、喪章をつけたいと思う。Jリーグ各会場で黙祷をささげるらしいので、協力していただく柏レイソルには感謝したいと思う。


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